社長の一言
2025.04.28
4月
2015年9月からこの社内報、ラブラドール・タイムズのコラムを書いてきました。
この号が代表取締役CEOとして書く最後のコラムになります。
約10年間、今号が116号になります。毎月400~500文字という制限の中で、言いたいことを十分に書けなかった月や
あまり話題がなく、文章を無理やりひねり出した月など、振り返れば、どのコラムも大変思い出深いものになりました。
私が社長に就任したのは1993年3月です。
以来32年の月日が流れ、今の社員の中には、私が社長になった時にまだ生まれていなかった方が多くいます。
よく日本経済は「失われた30年」という表現がされます、私の社長としての年月は、まさにその30年にかぶるわけですが、
あまり苦労をしてきたと思っていません。
厳しい時、ピンチな時は幾度も経験してきましたが、持ち前の「忍耐力」はたまた「鈍感力」という武器で
何とか社長を続けられてきたのかと思っています。
そして何より、会社を支えてくれた多くの現役およびOB・OG社員の皆様、関係会社の皆様の努力と支えがあったからこそ、
先代より引き継いだ会社を次世代に引き継次ぐことができたことを心より感謝申し上げます。
私共のようなファミリー企業の経営を、私は駅伝のようだと考えています。
前のランナーから受け取ったタスキを次のランナーに引き継ぐ、決して脱落することなく、
より良いポジションでタスキを渡す、そんな使命を受け継いだものは持っています。
駅伝と違うのはゴールがないこと、走る区間は決められていない事です。
つまり、走る本人が距離を決定します。ヨレヨレになって走ってもいい結果は出ない、
むしろ余力を残しながら、次のランナーの準備が整えば、引き継ぐべきだと考えたのが退任の理由です。
タスキを引き継ぐ者たちは、そのタスキが先人たちの汗と涙と努力で運ばれてきたという事を十分に自覚しなければなりません。
最後になりますが、吉田拓郎が1970年にリリースした「イメージの歌」の一部を書いてCEOとしてのコラムを
締めくくりたいと思います。
「古い船には新しい水夫が 乗り込んでいくだろう
古い船をいま動かせるのは 古い水夫じゃないだろう
なぜなら古い船も 新しい船のように新しい海へ出る
古い水夫は 知っているのさ 新しい海のこわさを」